"Sonzaisuru Koto no Kutsuu" to Jisatsu ni Kansuru Kenkyuu: Shneidman to Frankl no Shiten kara
Non-Fiction
「存在することの苦痛」と自殺に関する研究: シュナイドマンとフランクルの視点から
2018/06/21
Character count11,612
Word count4,652
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Kanji (1-occurrence)214
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Hard
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Duration
1 h

本書では、シュナイドマンの「自殺の定義」を分析し、それをフランクルの視点から批判することで、「存在することの苦痛」と自殺の関係について考察している。 現代日本における自殺の本質的な要因には、「存在することの肯定感」の喪失による、人間存在の不安定化があると言える。短期的・対症療法的な自殺対策ではなく、長期的・本質的な自殺予防を考えるとき、最も重要なのはこの問題であり、この視点をもって「現代における自殺とは何か」について根本的に見直すことが要求されている。 自殺研究の大家として知られるシュナイドマンは、自殺について、「『存在することの苦痛』として最も良く理解されると信じている」と述べた。彼が問題にしていたのはまさに近代社会における自殺の問題であり、このことは現在の日本社会にも共通する。むしろこの問題が深刻化していることが、近代社会の延長線上としての構造を持つ現代社会における自殺の本質的課題である。 ここでの近代社会とは、「国民国家、市民社会、資本主義的な経済が三位一体のかたちでつくられた社会」のことであり、パッペンハイムはこのような社会を、「個々人は非常にばらばらな孤立したものになっている」と象徴的に述べている。筆者がこれまでの自殺研究の中でシュナイドマンによる定義を採用してきたのは、このような近代社会における自殺を問題にしてきたからにほかならない。 この小論では、自殺の問題に深く関わり、人間の存在のあり方を問題にしてきた精神科医であるフランクルの視点も交えながら、「近代社会における自殺とは何か」ということについて検討したい。

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